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『映画史』(1988-1998)、『愛の世紀』(2001)を経て、ゴダールは本作『アワーミュージック』で着実に、いや飛躍的に前進を遂げている。73歳の映画作家の肉体に満ち溢れ、彼をその若々しい創造に駆り立てるエネルギーの源とは何か? それは「見えないものを映画によって見ようとする」欲求に他ならない。『アワーミュージック』はまさにゴダール新時代の幕開けを告げる映画であり、この世界を自分なりのやりかたで捉えてみたいという欲求を持つすべての人々に見られるべき映画である。
この映画は3つのパートで構成されている。夥しい戦争映像のモンタージュによる約10分間の第1部「地獄編」、ゴダールがこだわり続けるサラエヴォを舞台に、「本の出会い」というイベントに招かれた映画監督ゴダール(ゴダール自身が演じている)と、その講義を聞きに来た女子学生オルガの魂の交感を描く第2部「煉獄(浄罪界)編」、そして第2部で「殉教」に至ったオルガが、アメリカ兵に守られた小川のせせらぎを歩く第3部「天国編」。
第2部で、カメラはサラエヴォの活気にあふれた街並を滑るように走る路面電車と、ビルの壁に残る弾痕を映し出す。ゴダール自身の心にも深く穿たれているであろうその弾痕に、ユダヤ人の若い女性ジャーナリストが涙する。映画監督ゴダールは訪れた大学の講義の中で、イスラエルとパレスチナ、ユダヤとイスラムの非対称性を例にとり、「切り返しショット」という映画の手法を通じてこの世界を支配する対立の構造を捉えなおす試みについて言及する。そわそわと退屈しはじめた学生たちの中で、ひとりの女子学生(オルガ)はある決心をする。空港で自ら編集した映像の収まったDVDをゴダールに手渡そうとするオルガ。そこに収録されていたのは、「地獄編」の映像だったかもしれない。
自宅に帰って庭いじりをしているゴダールの元に、オルガの叔父でもある通訳から、オルガがイスラエルで自爆テロに間違えられて射殺されたという知らせが届く。それは彼女が選んだこの世界との決着の付け方だった。彼女が背負っていた大きなリュックの中には、爆薬などとは無縁の、夥しい書物が入っていたに違いない。
第3部の「天国編」は、ゴダールが「無私の死」を遂げたオルガのために用意した安息の世界だ。ビーチバレーに興じる若者たちの手にボールはなく、若いアメリカの水兵に手首を差し出し通行証のスタンプを押してもらって金網の境界線を越える世界。そこでは物質はもはや不要で、明るい日差しだけがオルガの背中を照らしている。
全体に流れるやわらかなトーンは、これまでのゴダール作品にはなかったものだ。そこにはオルガに代表される若い世代への優しいまなざしが息づいている。映画は観客に「あなたはどうか」と問いかけながら、私たちがそれぞれの場所で、「私たちの音楽(アワーミュージック)」を奏でることを待っている。
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