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「市民で灯そう10万の光り事業」は、12月1日に点灯式を行ない、23日には'09冬夜市としてゴスペルコンサートやナイトショーのイベントを行います。イルミネーションマップも発行し、光と人の輪を広げ、まちの活性化に寄与していきたい。
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当市の定額給付金の最終給付率は98.9%、子育て応援特別手当は100%の方が受給しました。又詐欺などの被害もゼロでした。 |
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新型インフルエンザ対策として、マスクを学校教育課、こども課、福祉施設課等へ5万枚配布し感染拡大防止に努めています。
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11月23日開催の「第29回愛媛県中学駅伝兼第17回全国中学大会県予選」において、川之江南中学校女子が初優勝しました。
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図書館への指定管理者制度導入については、平成22年10月からの移行を目指して準備を進めております。なお指定管理者の候補としては、「NPO法人紙のまち図書館」等が考えられます。
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市民からの要望が多かった「家庭粗大ゴミ日曜日受け入れ」については、'09年9月から奇数月の最終日曜日の午前中に、家庭から排出される「粗大ごみ」の受け入れを始めました。初回となった9月27日には、35車、2340kgの「粗大ゴミ」の搬入がありました。なお回数は、4月最初の日曜日を加えて、年間7回の粗大ゴミ受け入れ体勢となっていますので、ご利用下さい。
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'09年夏の地域元気商品券発行事業については、市内商店の購買促進を目的に、総額1億3200万円の事業で、市の補助金と致しましては、商品券のプレミアム分の約1200万円と事務費の約300万円の合計1500万円余りでした。なお登録店数は622店でしたが、実際に商品券が使用されたのは346店でした。
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地域医療再生に付きましては、さる11月4日、愛媛県において取りまとめた「宇摩圏域の地域医療再生計画(案)」が県の保健医療対策協議会で同意され、県から国へ提出されました。この計画が国からの承認が得られますと、早ければ年明けの1月頃には、国から県へ25億円の交付金が交付される見込みです。
県は、この交付金を医療再生基金として積み立て、来年度から平成25年度にかけて、各種事業に充当する事になります。今回設置した「宇摩圏域医療再生協議会」は、新年度以降は「宇摩圏域地域医療再生計画推進協議会」に再編されます。
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12月議会での私の一般質問は、新しい予算制度の提言と、財政状況、来年度予算編成方針を聞きました。
質問
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私が議員になって以来、ずっと疑問に思っていることは、ほとんどの自治体の予算制度は、当市も含め予算はその年に全額使い切ると言う「単年度予算制度」になっている事です。しかし最近先進地の自治体で、予算を効率良く使って予算を余らせたら、「報奨・ごほうび」として、頑張った部、課に次年度優先的に予算が加算される方式の「インセンティブ予算制度」なるものを採用するところが増えております。当市でも、財政厳しき折、予算をより効率よく使う為にも、また職員のコスト意識の向上や、「やる気」を引き出すためにも、この「インセンティブ予算制度」を採用する事を考えてみてはどうか!!
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答弁
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この制度は、事務事業の執行方法などを各課で自発的に見直し、経費の節減が図れた場合、その節減された経費の一部を当該担当に再配分する予算制度で、通常業務の中から仕事の見直しや、財政の健全化を職員に意識付ける事でマンネリ化を防ぎ、業務の活性化を図る事を目的として、横浜市や浜松市などで導入されております。努力した分だけ見返りがあるなど、職員の節約への意欲が高まるメリットがあると認識しております。しかしながら、統一基準など検討が必要な課題が非常に多いことから、他市の状況も見ながら今後の検討課題とさせて頂きたいと考えております。(市長) |
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質問
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来年度、平成22年度の予算編成方針を問う。
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質問
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この度示された財務省の指針「積立金等月収倍率」「債務償還可能年数」「行政経常収支比率」「実質債務月収倍率」を問う。
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10月29日、今まで無会派だった議員10名で新会派を結成
会派の名称 市民クラブ
会派の会員 西岡政則、石川秀光、曽我部清、谷国光、石津千代子、
◎原田泰樹、○井川剛、☆吉田善三郎、新谷末次、河村郁男
◎会長 ○副会長 私は☆政調会長を仰せつかりました。
議会にあって、市民の皆さんの立場に立って、行政に対し、広く意見具申できる会派としての思いから結成。これで新政クラブ10名、市民クラブ10名、共産3名、公明3名 無会派2名となりました。
(なお私は総務委員会に所属)
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江戸時代は、社会保障はわずかで大型公共事業は大名に押しつけ、資金が底をついても豪商などに御用金を課して臨時収入を得た。
しかしこんなやり方で幕府は良かっても、実は諸大名の台所は火の車だった様です。薩摩藩は河川の改修工事を命じられるなどで出費が重なり、1830年頃には借入金が500万両に膨らみ、利子だけで年40万両にものぼり、その結果年25万両の収入を上回り返済不能に陥った。そこで薩摩藩は向こう250年の分割払いにすると言って実質的に借金を踏み倒し、用立てていた大阪の豪商は相次ぎ倒産したというお話です。収入の20年分の借金をして、その果てに経済を混乱に陥れた事は、今の私達に大いに教訓を与えてくれています。借金はもう限界か!